駅逓は、開拓期の北海道で 駅舎と人馬、宿泊と運送の便をはかるため設置されたもので、今で言う「道の駅」的なものである。
島松駅逓所は明治6年、現在の国道36号の開通に伴い設置された。
明治17年から寒地稲作の父とうたわれた中山久蔵が経営にあたった。
この駅逓所は、
クラーク博士が帰国の途中に立ち寄り「青年よ大志をいだけ」という名言の舞台となった。また、明治14年には明治天皇北海道ご巡幸の際は行在所ともなった。
昭和59年国史跡に指定、当時の駅逓の構造を残す建築物としては道内最古のものである。
島松沢の原野に、明治4年中山久蔵が入植した、
当時北海道では米づくりが難しいとされていたが、久蔵は米づくりに挑戦した。
寒さに強いと言われる「赤毛種」で稲を試作し、水温を一定に保つため風呂の湯を運んだり苦労の結果
発芽に成功した。
そして、明治6年秋には反当り345kgの米を収穫。これが北海道の米づくりの発端となった。
そして開拓移民に種もみを無償で配布する等、ここから全道に米づくりが広がった。
旧島松駅廷所 (北広島市島松)
御膳水の井戸

1881年明治天皇が北海道巡幸の際
9月2日島松御昼行在所の御用をつとめた時に使用
した井戸である。現在広島町内ては最も古い井戸の
一つである。
井戸の滑車と紅葉
裏手に回ってみました
駅逓から見上げた紅葉
クラーク記念碑

明治10年4月16日札幌農学校教頭ウイリアムスミスクラークが
島松駅逓所(中山久蔵宅)における学生及び教員と訣別した地を
記念して昭和25年11月、クラーク奨学会により記念碑が建てられた。

クラークは開拓史の招きにより明治9年6月東京へペンハロー、ホイラーの
二教師と共に着任。7月札幌へ赴任。
同年9月札幌農学校教頭となり翌年4月まで8カ月間滞在した。
訣別にさいし、「青年よ大志を懐くけ」の言葉を残した。
塔央のクラーク彫像の下には「ボーイズビーアンビシャス」と刻まれています。

                        
 (石稗より抜粋)

クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」で戻ります。
寒地稲作この地に始まる

寄り道
  夢 創 館  (むそうかん)     恵庭市島松仲町1丁目2番20号
戻 る
喫茶コーナー
コミュニテイホール
残念ながら喫茶コーナーが臨時休業でした。
次回訪問まで・・・・・・
とりあえず写真のみ。

「夢創館」のHPはここです。
札幌、千歳の間にある島松沢
国道36号線の整備に伴い、つい通りすぎてしまうことが多い場所ですが
車の方向を変えて立ち寄って見ると
こんな素適なところがありました。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送